街に恋して
更新日:8月31日

みなさま、こんにちは。
今日は、2024年7月2日付の陸奥新報「望遠郷」に掲載された、第1回の記事「街に恋して」をご紹介します。
きっかけは、2023年秋、弘前で藤田かつ子先生が主催する「愛のコンサート」にゲスト出演したことでした。当日取材に来ていた陸奥新報の一戸記者から、「『望遠郷』というコーナーで書いてみませんか?」と声をかけていただき、ベルリンでの暮らしを綴る全7回の連載が始まりました。
第1回は、私がベルリンという街に出会った日のことや、そこで感じた街と人々の空気について書いたものです。
よろしければ、ぜひお読みください😊
陸奥新報「望遠郷」第1回 街に恋して
(2024年7月2日掲載)
私がベルリンを初めて訪れたのは2002年7月だった。留学当初はドイツ南部の街に住んでおり、その日は音楽大学受験のためにドイツ北部のとある都市に出向いていた。受験も終わり帰ろうとした時、当時ルームシェアをしていた友人から「アパートにゴキブリが大量発生していて、駆除作業のために夜まで部屋の中に入れない」という連絡があった。それなら当初予定にはなかったけれど、ベルリンで途中下車をして観光でもしていこうと何気なく訪れたのがこの街との出会いだった。Zoo駅から出てすぐ目の前にあったカイザー・ヴィルヘルム記念教会を見た瞬間、私はこの街に恋に落ちた。なんだかわからないけれど他の都市では感じたことのない解放感、そして迫力に圧倒されたのだと思う。そのようなビビビ婚ならぬビビビ移住で始まったベルリン生活はそこから13年続くことになるわけだから面白い。
ベルリンの壁が崩壊したのが1989年。そこから13年経った頃のベルリンには、高級店が立ち並ぶ賑やかな繁華街がある反面、東の方に行くと街並みだけではなくなんとなく人の雰囲気も違う、憂いを含んだような空気感の漂う地域があった。アレクサンダー広場にあるテレビ塔の上にはフロアが回転するレストランがあって、そこからぐるっとベルリンを一望することができるのだけれども、上から見ると旧西と旧東の街並みはまるで線でも引かれたかのように違っていた。旧東の方はコンクリートの集合住宅が建ち並び、旧西側では石やレンガで建てられた家が整然と立ち並んでいる。壁が崩壊して10数年経っても、まだまだ違うものだなぁとしみじみと眺めていた記憶がある。
東と西の差は建物だけではなく人の考えにも現れていた。当時語学コースで夏期講習を受け持ったのが旧東出身の30代ぐらいの女性の講師だったのだけど、彼女は旧東の生活の方が保育園のシステムなどもしっかりしていて暮らしやすかった、悪くない生活だったと昔の生活を懐かしんでいた。当時旧東については、密告のシステムや行動制限があり人々は圧政に苦しんでいたという認識だったので、中で暮らしていた人にとっては案外快適な生活だったということはショックだった。もっともその先生が特殊だった可能性はあるのだけれど、価値観というものはそもそも実に多様で、外からの評価では一概に決められないものだなぁとその時学んだ。
東と西の違いだけではなくベルリンには移民が多く暮らすが故の多様性がある。当時から多くの移民が住んでいたけれど、彼らを一つの価値観に適応させるのではなく共存していく方向に向かっていた。その寛容性が後に社会的問題になってくるわけではあるけれども、Multi-Kulti (多文化主義)のスローガンの中、共存を模索して新しい文化や社会を作っていこうとしている人々が生きる街のエネルギーに私は強く惹きつけられたんだろう。





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