音が呼び覚ます風景
更新日:8月31日

2025年5月6日付の陸奥新報「望遠郷」に掲載されたエッセイです。
ドイツで暮らしていた頃、津軽三味線の巨匠・高橋竹山の音を聴いたとき、故郷・弘前の岩木山や草木の匂いまでが鮮やかによみがえりました。
音楽が記憶や心に触れる力について綴った、連載最終回の記事をご紹介します。
陸奥新報「望遠郷」第7回 音が呼び覚ます風景
(2025年5月6日掲載)
昨年から始まった望遠郷での連載も今回が最後となる。今まで6回分記事が掲載されたが、「望遠郷」なのに一度も津軽について語っていない。それではあまりに寂しいということで、今回は津軽の誇る三味線の巨匠である高橋竹山について思いを馳せ、この掲載を締めくくりたいと思う。
ドイツでの生活は友人にもとても恵まれ日々楽しかったのだが、渡独10年を越してきたあたりから故郷を恋しく感じることが増えてきた。2010年代に入ってくると、ドイツにいながら日本のものが視聴できる環境になってきたこともあり、高橋竹山の音楽をたまたま聴く機会があった。その時聴いた曲は「津軽じょんがら節」や「津軽三味線組曲」などの彼の代表作だったのだが、三味線から溢れてくる音から、津軽、特に岩木山の情景が目の前にまざまざと浮かんできたことに加え、土地のにおいまで呼び覚まされ、涙が止まらなかった。ねぷたのお囃子や神社の夜店、金魚すくいやりんご飴の甘い匂い、5月に咲くりんごの木の花の良い香りなど、私の記憶に眠っていた情景が感情と共に一気に私の感覚に迫ってきた。私には彼の音楽自体が津軽を表現しているかのように思えた。雄大で厳しくも美しい津軽の自然を思わせる哀愁の漂う音色が私の琴線に触れた。彼の三味線は聴く人の魂に訴えかけてくるが、それは日本に限らず国境を越えるものだ。1986年、彼は76歳でアメリカ公演をしているが、彼の公演は現地で熱狂的に迎えられ、ニューヨークタイムズでも絶賛されている。当時の公演を評した記事を見ると、「彼の音楽はまるで聴衆の心を探るかのように、共鳴する場所を見つけ出し、触れてくる。それはまさに“音による共感”とも呼べるものだ。彼は真の巨匠である。」と締めくくられている。
竹山は民謡の伴奏が中心だった三味線に、津軽三味線の”独奏”という新たなジャンルを切り開いた巨匠だが、彼の三味線は躍動感があり、リズムが全くぶれない。まるでロックミュージックを聴いているかのような爽快な感覚になる。私は彼の演奏を聴くと、ピアニストの巨匠リヒテルを思い出す。三味線とピアノは全く違う分野であり、一見すると共通点がないようにも思えるが、聴くたびにとてもよく似ていると感じるのは、全くぶれないリズム感に支えられた音楽の運びの良さが双方にあると思うからだ。そして2人とも人生で背負った暗い影が哀愁として音に現れており、演奏者と聴き手を目に見えない糸で繋ぐ。
遠くにいても望む故郷「望遠郷」。私は高橋竹山の音楽を聴いて、自分の根っこはやはり津軽にあるのだと強烈に実感した。ベルリンで長いこと暮らすうちに、どこかさすらい人のような感覚になることがあり、自分が何者であるのかがわからなくなり、精神的に不安定になることがあったが、彼の音楽を聴いて自分は大丈夫だと思えた。これからの人生においても、色々な困難に向き合わざるを得ない場面が出てくると思うが、そんな時は竹山の音楽を聴きながら郷土に想いを馳せ、力強く前に進んでいきたいと思う。





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