聞こえているのに、聞こえていない

今、あなたのまわりでは、どんな音が鳴っているでしょうか。
時計の針の音。冷蔵庫やエアコンの低い振動。窓の外を走る車。遠くで話している人の声。風や鳥の音。
意識を向けてみると、先ほどまで気づかなかった音が、次々と聞こえてきます。
けれど、それらの音は、急に鳴り始めたわけではありません。ずっと耳には届いていたはずです。
聞こえていたのに、聞いていなかった。
私たちが「知覚する」ということには、単に音が耳に届く以上の何かがあるのだと思います。
聞こえることと、聴くこと
ピアノの音も同じです。
初めのうちは、同じ高さ、同じ大きさに聞こえていた二つの音が、経験を重ねるうちに、少しずつ違うものとして聞こえてきます。
硬い音。柔らかい音。浅い音。深い音。すぐに消えてしまう音。空間の中へ広がっていく音。
さらに、単独ではきれいに聞こえる音でも、ほかの音との関係によっては出すぎて聞こえることがあります。反対に、小さな音でも、全体の響きを支える大切な役割をもっていることもあります。
このような違いは、知識として説明されただけでは、まだ本当の意味で「聞こえた」ことにはなりません。
自分の耳で違いを感じたとき、初めてその音は、自分の知覚の中に現れます。
感性を育てるとは、特別な感情を外から与えることではなく、こうして、それまで気づかなかった違いを感じ取れるようになることなのではないでしょうか。
ピアニストは、指でも音を聴いている
ピアノを弾くときに働いているのは、耳だけではありません。
指先が鍵盤に触れた位置。鍵盤の表面の感触。鍵盤が下がっていくときの抵抗。指の関節の角度。腕から伝わる重さ。鍵盤が底に達したときの感覚。
私たちは演奏しながら、身体を通して実に多くの情報を受け取っています。
それらは一つひとつ言葉になるわけではありません。けれども、鍵盤のわずかな抵抗や沈み方の違いを、指先はたしかに感じ取っています。
私は、上手なピアニストは「指で音を聴いている」のではないかと思うことがあります。
もちろん、指に耳があるわけではありません。
けれども、音が鳴る前から、指はすでに鍵盤に触れています。
熟練したピアニストは、鳴った音を耳で確認してから、次にどう動くかを決めているだけではありません。指先の感覚と、それまでに積み重ねてきた経験から、これから鳴る音を予測しながら弾いているのだと思います。
指で鍵盤を感じ、身体の中で音を予測し、実際に鳴った音を耳で確かめる。
この循環全体が、ピアノを弾くときの「聴く」という行為なのかもしれません。
聞こえるものが増えることは、そのまま、選べる音が増えることでもあります。
そして、どの音を選ぶかに、その人自身の感性が現れるのだと思います。
次回は、「綺麗な音」とは何か、そして教師はそれをどのように伝えられるのかについて考えてみたいと思います。



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